東京・赤坂に、江戸時代初期から400年以上にわたり暖簾をつないできた企業があります。

寛永元年(1624年)創業の株式会社四方、通称「赤坂四方」です。

今回、赤坂四方を訪問し、山田紀史子専務、山田峰子取締役にお会いし、17代にわたる四方家の歴史、事業承継、地域との関係、そしてこれからの四方についてお話を伺いました。

400年以上続く企業というだけでも大変貴重な存在ですが、今回のお話で特に印象に残ったのは、単に「歴史を守ってきた会社」ではないということでした。

震災や戦争によって失われた歴史を自ら掘り起こし、薄れていた一族のつながりを取り戻し、さらに次の50年に向けた新しい基盤をつくる。

赤坂四方には、長寿企業における「承継」とは何なのかを考える多くの示唆がありました。

江戸の名物となった「四方」

四方の創業は寛永元年(1624年)。三田同朋町に店を構えた芝三田四方から分家し、赤坂の地で商いを始めました。

江戸時代には酒屋として発展し、銘酒「瀧水」や赤味噌などを扱いました。「四方」の名は江戸市中に広く知られ、浮世絵や川柳、双六などにも登場します。

江戸を代表する文人・大田南畝が「四方赤良」という狂名を名乗ったことからも、四方という存在が単なる一商店を超え、江戸の文化や人々の暮らしの中に入り込んでいたことがうかがえます。

しかし、400年の歴史は決して平坦なものではありません。

明治維新、関東大震災、戦災、戦後復興、バブル崩壊、リーマンショック、そしてコロナ禍。

特に震災や戦災では、多くの建物や資料を失いました。それでも、その時代を担った人々が再び商いを立ち上げ、次の世代へと四方の暖簾を渡してきました。

失われた400年を自ら掘り起こす

今回の訪問で特に印象的だったのが、山田紀史子専務のお話です。

現在の社長の母にあたる紀史子専務は歴史が大変お好きで、約15年前から四方家の歴史を本格的に調べ始めました。

ところが、関東大震災や戦災を経験した四方には、古い記録が十分に残されていませんでした。

そこで、寺社や過去帳などを丹念に調べ、親族にも話を聞きながら、一つひとつ断片的な情報をつなぎ合わせていったそうです。

その成果の一つが、17代にわたる四方家の家系図です。

家系図を拝見して興味深かったのは、現在の家族だけを中心にした系譜ではなく、四方という家を形づくってきた人々を可能な限り残そうとしていることでした。

紀史子専務自身は16代目当主の後妻にあたりますが、家系図には先妻についてもきちんと記されています。

現在の視点から都合よく歴史を整理するのではなく、「あったことを、あったものとして次代へ残す」。そこには、400年という歴史に対する紀史子専務の誠実な姿勢を感じました。

家系図が、一族をもう一度つないだ

そして、家系図づくりには思いがけない副産物がありました。

調査を進めるため、交流が薄くなっていた親戚にも連絡を取るようになると、それぞれの家に残されていた写真や資料、記憶、エピソードなど、さまざまな情報が紀史子専務のもとへ集まるようになったといいます。

歴史を調べることが、人をつなぎ始めたのです。

そして創業400周年を迎え、記念式典などを通じて親族が再び集まり、交流が戻っていきました。

これは、ファミリービジネスを考える上で非常に興味深いお話でした。

家系図は単なる過去の記録ではありません。「自分たちはどこから来たのか」を共有することによって、現在を生きる一族をもう一度つなぎ、さらに未来の世代へその関係を渡していく。

歴史を可視化することが、ファミリーそのものを再びつなぐ力になったのです。

鈴木家から山田家へ。それでも「四方」は続く

四方の家系をたどっていくと、もう一つ興味深いことがあります。

もともと四方家は鈴木姓でした。それが14代目に、名古屋から千松氏が入り、山田姓へと変わります。

15代目にも千松氏の親戚筋から婿を迎え、その後16代、17代は嫡男が承継して現在に至ります。

つまり400年以上続く四方は、同じ姓、同じ承継方法だけでつながってきたわけではありません。

時代や家族の状況に合わせて承継の形を変えながら、「四方」という暖簾を次代へ残すことを優先してきたとも見ることができます。

家を残すことと、形式を守ることは必ずしも同じではない。17代に及ぶ家系図を前にすると、長寿企業ならではの承継の柔軟性を感じます。

「守る」だけではなかった14代目

14代目千松氏のお話も印象的でした。

千松氏は事業家であると同時に、株式投資も大変好きだったそうで、投資によって資産を大きく増やしながら事業を広げていったといいます。

老舗企業というと、先祖から受け継いだものを減らさず、堅実に守る経営をイメージしがちです。しかし、四方の歴史はそれだけではありません。

新しいことに挑戦し、投資を行い、事業を広げる。その一方で、暖簾や信用は守る。

昭和期には、酒販店による自社ブランドの地ウイスキー「ザ・赤坂」にも挑戦しました。

近年でも新たにジョージアワインの輸入販売を開始するなど、400年を超える会社でありながら、新しい商売への挑戦を止めていません。

「守るべきものを守るために、むしろ変化する」。この姿勢も、四方の長寿性を考える上で重要なポイントではないでしょうか。

地域への責任も、代々承継する

そして、四方400年の歴史を語る上で欠かせないのが、地域との関係です。

歴代当主は赤坂の地域活動に深く関わり、14代、15代、16代と三代にわたって赤坂田町三四五丁目町会の町会長を務めました。

寺社への寄進や祭礼への参加なども続けてきました。

こうした活動は、現代的な言葉でいえばCSRや地域貢献ということになるのでしょう。

しかし、四方の歴史を見ていると、それよりももっと自然な、「この街で商売をさせてもらっている」という感覚に近いのではないかと思います。

事業を承継するだけでなく、地域に対する責任まで承継していく。四方という家業と赤坂という街が、400年という時間の中で切り離せない関係になっていることを感じました。

取引先との関係も世代を超える

人との縁という点では、サントリーとの関係も大変興味深いものでした。

サントリー創業者・鳥井信治郎氏の次男で、後に同社を率いた佐治敬三氏との交流も深く、佐治氏自ら四方の店頭に立ち、販売に参加したこともあったそうです。

一つの取引が一代限りで終わるのではなく、人と人との関係となり、それが世代を超えて受け継がれていく。

400年企業を支えているのは、資産や商品だけではありません。長い時間をかけて蓄積された「信用のネットワーク」そのものが、企業にとって大切な資産なのだと改めて感じます。

85歳の専務がつくる「次の50年」

そして今回、最も心に残ったのが、これからの話です。

現在の赤坂のビルは2027年から建て替えに入り、2029年の完成を予定しているとのこと。

400年を迎えた会社が、次の時代へ向けて再び大きな一歩を踏み出そうとしています。

紀史子専務は現在85歳。しかし実際にお会いすると、その年齢を感じさせないほどお元気で、何より、四方の歴史とこれからについて生き生きとお話しされる姿が大変魅力的でした。

約15年前には、失われた記録を探しながら400年の過去を掘り起こした。そして現在は、ビルの建て替えをはじめ、「次の50年」をつくるために、自分ができる限りのことを進めているといいます。

この言葉が、とても印象に残りました。

400年の歴史を持つ企業だからといって、400年という節目をゴールにしているわけではありません。85歳の専務が見ているのは、むしろ自分自身が見ることのできないかもしれない50年先です。

「過去400年を掘り起こし、次の50年の礎をつくる」。そこに、長寿企業における世代責任の一つの姿を見る思いがしました。

「つなぐ経営」から学ぶこと

今回の訪問を通じて、改めて「事業承継とは何か」を考えさせられました。

社長を交代することでも、株式を次世代へ渡すことでもありません。

歴史をつなぐ。家族をつなぐ。暖簾をつなぐ。従業員をつなぐ。取引先との信用をつなぐ。地域との関係をつなぐ。そして、次の世代が挑戦できる基盤をつくる。そのすべてが「承継」なのではないでしょうか。

一方で、400年間同じものを守り続けてきたわけでもありません。姓も変わった。承継の方法も変わった。商売も変わった。街も変わった。それでも「四方」は残った。

そこから見えてくるのは、「何も変えないこと」が伝統なのではなく、「何を変えて、何を残すのか」を世代ごとに判断し続けることこそが、伝統なのではないか、ということです。

創業402年、17代。そして2029年には、赤坂に新しい四方の建物が誕生する予定です。

その建物が次の50年を支え、18代、19代、そして創業500年へと、どのように四方の暖簾がつながっていくのか。

今回、山田紀史子専務、山田峰子取締役から直接お話を伺い、400年という歴史の重みと同時に、「長寿企業とは、常に未来をつくっている企業である」ということを強く感じました。

100年経営を考える私たちにとって、「自分の代で何を受け取り、何をつくり、何を次代へ渡すのか」を改めて考える、大変貴重な訪問となりました。